フラッシュバック

ウクライナの惨状は想像以上に長引き攻撃が拡大し肝がつぶれそうです。

私は満州の撫順市で1945年8月15日終戦を迎えました。
穏やかな都会で空襲も空襲警報も一度も経験がなく戦争を体感できていませんでした。

北の方の国境でロシヤが8月9日不可侵条約を破って挑戦してきたこともラジオ放送はなかったようです。
日本軍は相応に対応する力はなく山のような戦車が夜を徹して前進し逃げ惑う日本人を追い、略奪を続けながら南下してきました。

家を取られた北の国境の方たちが皆さんぼろをまとい幽霊のような姿でどり着いてきたのは8月末でした。
9月を過ぎると日本の男性13歳から老人までロシアが65万人以上を捕虜として連行しました。
私の家も何組もの家族を収容することになり引き揚げまで気の休まる時はありませんでした。

さくら着物工房「バリアフリー着物」戦争は誰一人、幸せにはなりません。これが今現実に起きています。