語り部という役目
コロナがやっと知れ渡った5月から「日本道」というZOOMゼミで勉強をしています。
今日は敗戦後シベリア抑留された方のご子息で政治家の第一線を終え80歳の方でした。
現役中ロシアへ現地入りし抑留者について調べ出版なさいました。
極寒の地へ60万人の日本兵が騙されて連行されⅠ割・6千余人が亡くなったと。
僅かな黒パンを手製のはかりで切り分け重労働・栄養失調、疫病でばたばたと命絶えたという。
共産党への洗脳があり相手のロシア兵たちにおもねて仲間を売るようなことも多々あったそうだ。
「日本へ引き揚げたらロシアが豊かで自分たちが厚遇されていたと伝える」と成約した人たちもいたなどと語られた。
抑留された人たちは多くを語らないまま旅発ってしまう。
平和に向けた志を持つ語り部の必要を教えてもらった。
私の父は昭和20年5月満州国撫順から召集を受け北満へいき戦わぬまま不可侵条約を破って侵攻してきたロシヤ兵につかまり
ロシアの属国として戦勝国になった
外蒙(現モンゴル)に戦利品とし捕虜になった。
私が9歳の時の永久の別れとなろうとは・・・。
「モンゴル会」の遺児代表だった私は改めて父たちの無念の語り部になる
自覚が出来た一日でした。
挿絵 父がいない中母が腸チブスになった。難民で家に来たお姉さんと母の着物でお人形を作り闇市で売りながら父の帰りを待っていました。