続クローズアップ現代 吉野ヶ里の石棺の赤は水銀朱!!

佐賀県  吉野ヶ里の奇跡

案内の本「弥生時代の吉野ケ里・ムラからクニへ・」二十ページに赤い色は「水銀朱」と書かれていました。 やっぱり赤い色は紅花でもベンガラでもありません。

2023年6月6日、新聞のニュースもテレビのワイドショウも「吉野ヶ里遺跡」から石棺が出たと特別番組が組まれ司会者は興奮気味に、コメンテーターはびっくりする説を披露していました。
テレビに釘付けになりました。

私は徳島へ我が家のルーツ探し」に三年通っていますがついぞ古墳の発掘作業を見ることはありませんでした。
ニュースは「佐賀県吉野ケ里で石棺出土、卑弥呼の墓か、邪馬台国か」と報道されました。
私は、30年前吉野ヶ里遺跡が公園のように整備されオープンしたころ訪ねた記憶が蘇りどうしても飛んでいきたいときめきに震えました。

6月16日  吉野ヶ里到着!!

公園の事務所にお伺いし朝一番の見学スタートでした。ゲートの中に入ると原生林の雰囲気が作られ、すっかり弥生時代のたたずまいで環濠で守りを固めた「ムラの形」が再現されたところや、頑丈な大木で延々と塀が作られた「クニの形」の集落が見渡す限り連なっていました。

私は平原の弥生時代に完全にタイムスリップして、民家の陰から人々がぞろぞろ出てきそうな錯覚を覚えました。
しばらく歩いて村々を通り越した小高い見晴らしのよさそうな石棺発掘の現場に着くと、作業の準備が整い石棺は既に中身がきれいに取り出されていました。

「専門家のひとたちは石棺に紅花が入っていたとか、べんがらが入っていたと発表されましたね」
私は「弥生時代の高貴な方たちの埋葬には防腐材の役目もある水銀朱が使われていたのではありませんか?」と伺いました。

『いま,仮説で検討されているのは紅花と、中国から大量に入ってきていたベンガラが有力です。水銀朱は考えられません』

私は時代考証をしても紅花もベンガラもどうしても腑に落ちず不思議でした。
北九州は弥生時代すでに女王国が魏の使者を迎え入れていますが吉野ヶ里までは関係がないのかと半信半疑でした。
担当者の方が石棺の蓋へ案内してくださいました。

「発掘された三枚の石の蓋に、新発見の石の刻みがたくさんあります。石を見てください。表面側にも裏側にも×の形の彫刻が無数にあります」と教えてくださいました。
私が見たことのある古代文字ではありません。バラバラの×印ですが戯れに付けた傷でもありませんでした。
ただ心に深く残る手触りでした。クローズアップ現代で古代の天の川を写しているというお話はとても心に残っています。
×が星なら本当に的確です。 石棺の中は火山灰が流入し酸性なのですっかり中身が解け空っぽだったので作業に当たる皆さんは落胆気味でしたが、広い敷地にはまだまだ埋蔵物の可能性が多いのでこれからに期待されていました。

公園の博物館と図録

博物館に一歩足を踏み入れて圧巻は私の背よりも高い高貴な方々の甕棺です。
「吉野ヶ里の身分の高い方の埋葬は甕棺です。」
甕棺の中には水銀朱がみな塗られて辰砂がしっかり確認できました。
しかし、この朱色を絶対水銀朱とは言ってもらえませんでした。どこかに証拠がないか探すのが現場主義の私の手段です。
案内の本「弥生時代の吉野ケ里・ムラからクニへ・」二十ページに赤い色は「水銀朱」と書かれていました。
やっぱり赤い色は紅花でもベンガラでもありません。
学芸員が書き残した説明書に「水銀朱」が確認できました。

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