満開の桜に寄せて

さまざまなこと思ひ出す桜かな 芭蕉

東京のさくらがあっという間に満開になりました。桜前線は急発進で北上しています。
知人の知人がNHK深夜便で対談をしました。被爆者の語り部をなさっています。
3月27日の4時からの放送で一筆書かせていただきました。

—–
明日への言葉  小谷孝子様

「あっちゃん」とともに被爆体験の語り部をなさっているお話を聞きながら深く共鳴し心にしみわたりました。そして、ますます大切な現在の状況を感じています。原爆の怖さは戦争で終わったのではありません。原子力発電所の被爆への警告にしたいと願わずにはいられません。
私は思いもかけない被爆のもたらす惨い人生を生きた数人と寄り添った体験があります。当事者が世間には知られたくないという信条をもつ歴史が私の心の重りになっています。そしてこれが敗戦時の原爆という過去ではなく原子力発電所の倒壊による被爆者が現在沢山生まれている進行形であることと重ねると小谷さんの活動の意義の大きさを再確認いたします。

「定年退職をしたら二人でレマン湖へ行こう!」こんな約束で励ましあった親友を亡くしました。ガンで38歳の主人を亡くした私と長崎の被爆の原因で発症したご主人を亡くした滝波洋子さんとの堅い約束でした。
私はその後スイスへの旅を墓参の思いで出かけることが出来ましたが残念な思いが残っています。
ご主人は長崎の原爆投下の折中学生で工場へ駆り出されて働いていたとのこと。30代で白血病を発症、長く苦しい患いのなか40歳の若さで他界したのでした。彼女は女学生の時自分が広島で被ばく地区の縫製工場で働いていたことを2人のお子様のため秘密にしていました。両親の被ばくが遺伝のため将来の結婚などの邪魔にならないように配慮しての決断でした。
彼女の予感通り定年後66歳で悪性乳がんを発症し亡くなりました。

私は現在81歳、車椅子のお嬢さんたちに着物を体験して頂いていますがその一人村山奈央子さんとのお付き合いも悲しい結果でした。おじいさまが広島の被爆者だったため16人の従妹に4人の身体障害者がいるとのことでした。聡明な大学生でしたが10年の付き合いで昨年なくなりました。被爆遺伝の典型的な体形異常と肺が他の臓器とともに癌化していくものでした。
一族は国の医療機関に訴えることも相談したそうですが他の兄弟たちのために被爆を公にしない道を選びました。このような例は歴史の中に隠されてかなりいることが分かっているとのことでした。
奈央子さんの着物姿は毎日新聞で着物の記事になり在学中の工学院大学でアイドルになりました。
彼女は「酸素をください」というグループを立ち上げ厚生省に働きかける活動を実らせることが出来ました。酸素吸入は日常生活の中で大きい負担になるそうです。二人のお姉様も無事結婚し元気なお子様にも恵まれました。
甥御さんや姪御さんの写真が何枚も届きました。ご一家の幸せが奈央子さんを幸せにしていました。心から立派に生き抜いた奈央子さんの出会いに感謝しています。

小谷様のご活躍を陰ながらご祈念申し上げます。

平成30年3月30日 鈴木富佐江