教室と連休も終わり
多忙にしているうちに緑濃くなり連休も過ぎました。
突然の「ロシアがウクライナを攻撃」を伝えるニュースには鳥肌が立ち心臓の高まりを覚えました。
私は満州でロシアの侵略体験がありフラッシュバックしてきました。
昭和二〇年(一九四五年)八月八日から九日にかけ旧満州北部に不可侵条約を破りロシアの大群が侵略、迎え撃つ日本軍の戦力がなく敗戦の日まで攻撃しながら略奪、暴行がはじまりました。
南部の文化都市・撫順市に住んでいた私たちはこんな状況を知る由もなく「玉音放送で敗戦」を迎え父の帰宅を待ち空襲も警報も聞かないまま戦争がすんで一ト安心と思っていました。
避難民の怒涛の逃避行が南下しているなど知る由もありませんでした。小学校三年生の夏休みの事でした。
七十年以上も平和が続き贅沢にも「平和ボケ」という中でコロナ禍に見舞われましたが三年目を迎えやっと収束が期待できそうな頃合いでした。
テレビの中の遠い地域の戦争では現実を知らない世代がほとんどになってきた現在どこまで日本がいま置かれている世界情勢、日本の経済危機、食料の供給困難の想定、家族、教育、医療など案じればきりがありません。
私は心がめげないように徳島通いをしながら資料集めで中身が充実してきました。
上手くゴールインできますようどうぞよろしくお願いいたします。
日本の友人を頼ってウクライナからお母さんと娘さんとお孫さん支援の会に参加。
若いご主人様は戦場に残りました。お礼の手紙を読みながら滂沱の涙です。
本当に身に沁みました。頭の飾りで踊ってくれました。学生時代日本に見えたご縁です。