心の師『宮城まり子さん』の死を悔やむ

さくら着物工房バリアフリー着物私は高校生のころ青少年赤十字の茨城県代表になり福祉の世界に深く関わりたいと希望していました。
俳優として歌手として活躍した宮城まり子さん「ガード下の靴磨き」の舞台も浅草の国際劇場で観劇し心が躍った思い出が原点です。
学生時代山下清を輩出した「八幡学園」で知的障害のある子供から成人の入所施設で半月実習をしました。
「ねむの木学園」設立はこの時代、身体障害と知的障害を持つ施設は皆無でした。
この道を開いた先駆者でした。

宮城まり子さんの挑戦を尊敬を持ち興味を思っていました。
今日私の仕事やボランティアの指針と根性になっています。100歳時代とは言え93歳のご逝去を心残りであったろうとご冥福を祈っています。

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